2002/1/5(土)  −私とIT−

 2000年の3月からはじめたホームページ、今や亀屋にとって無くてはならない存在になりました。売上的に言うと2001年度は4割強がネット取引、この割合は今後もっと増えると思います。最初の半年間はアクセスも上がらず注文も無く「あいつは毎日パソコンの前で何をやっているんだ?」と白い目で見られていました。(・・;)  あきらめて他の方法を考えようと思っていた矢先にサントリーさんから「リンク許諾のお願い」なるご丁寧なメールを頂き一念発起、品揃えを拡充して週1ペースで更新をし、Yahooにも登録していただいたこともあり最近では毎日のようにお問い合わせやご注文を頂くようになりました。m(_ _)m
 というわけで、新年のご挨拶を兼ねて、私とパソコンとのこれまでの“お付き合い”を多少脚色してドラマチックにお伝えしようかと思いますのでよろしくお付き合いください。
 まず私がパーソナルコンピューターと言えるもの(ワープロ)を手に入れたのは1993年でした。今思えば、これがすなわち亀屋の“IT元年”だったわけです。当時俳優の唐沢寿明さんのコマーシャルで一斉を風靡した「東芝Rupo」を確か10万円程で近所の電気店から購入しました。話は前後しますが93年まで私は東京で普通のサラリーマンをしていたのですが家業を継ぐためにその年の10月にここ八日市場に帰ってきたのです。そこで先ずはじめたのが顧客管理。それまではただ台帳に記入するだけだったお客さんのデータを管理して展示会の案内やチラシを作って送ってみようという考えからでした。今でこそブラインドタッチ?の私ですがその頃は初めてのキーポード、仕事をしながら1日に20人のデータを打ち込むのがやっとでしたが、何とか正月に間に合って年賀状を印刷して出したのです。オリジナルデザインの年賀状は思った以上に評判が良く。また田舎では“組付き合い”というのがあって、回覧版などを回すのですが、それを是非ワープロで作ってくれないかと、本業以上に繁盛?してしまった記憶があります。
 しかしながら、ただ1つ問題がありその「東芝Rupo」はその後直ぐに使わなくなってしまいました。何故かと言うと(当時のワープロは、みな似たり寄ったりだったと記憶していますが)1つのファイルに確か135人しか登録することが出来なかったのです、136人目からは別のファイルを作って別のフロッピーディスクに収めなければなりませんでした。そうすると管理する上で非常に都合が悪い。この人はどのFDに入れておいたっけ?といった問題が起こってくる。20歳代の人だけにダイレクトメールを送ろうと思うとFDの数だけ検索ソートをする必要が出てくる。
 さてこれは一体どうしたものか? このままでは2人の時間が止まってまう・・・・・(-_-;)
 
しかしここで満を持して「Windows95」が登場!
まるで時代が私と亀屋を追うようにして、、、。2人の時間はまた動き始めたのでした。。。
                       −つづく−
 
2002/1/14(月)  −私とIT−Part2

 初期Windowsが世に出たのは1985年のことでした、しかしそれは一部の専門家や今は死語となった「オタク」と呼ばれた人達のものでした。Windows3.1まではとにかくMS-DOSが主力でありWindowsは単なるアプリケーションに過ぎなかったのです。難しいPC言語やコマンドを覚た人のみがその恩恵に浴する事が出来たわけです。
 1995年に登場したWindows95は、少数の専門家から一般の人達へとユーザーの裾野を大きく広げるきっかけとなりました。モニターやキーボード・マウスといったインターフェイスが確立され、スタートメニュー・フォルダ・右クリック・ごみ箱といった視覚的に解り易いシステムを搭載し、初心者にもやさしいこのOSは、パソコンブームを世界中に巻き起こしたことはまだ記憶に新しいところ。実際に秋葉原の電気店では、初売りの深夜12時に行列ができましたが、中にはまだパソコン本体(ハード)を持っていないにもかかわらず、みんなが並んでいるから行列に加わった人も多数いたそうです。バブル後の経済復興の救世主とも言われていました。しかし97年までは、インターネットという言葉さえまだ一般には認知されていませんでした。その頃の私にとっての95の用途は、もっぱらローカル情報の管理に留まっていたのです。亀屋HPのシナリオもこの時はまだ私の頭の中に描かれてはいませんでした。
 その後、Internet Explorerが登場し、Netscape社と裁判にもなったのを覚えている人もいるでしょう。この両者の対決は、世界中にインターネットを知らしめたということで意義があったのかもしれません、1998年にWebブラウザを標準装備したWindows98の登場でいよいよインターネットの世界は加速しはじめたのです。
 チョット話がソレましたが、今振り返って思うことは、職人として半人前の私にとって当時できることと言えば、情報を集め管理することだけでした。その手段としてのWindows95・98がちょうどこの時期に世に出たという事は、私と亀屋にとって非常にラッキーだったと言う他はありません。その当時この業界がかなり下火になっているということは、私ははっきりと自覚していた訳ではありませんでしたし、先代はこれまで通りに真面目に技術さえ身につければまた昔のように“いい時代”がやってくると考えていたようです。もしも私自身がそれを鵜呑みにして、お客さんのニーズも考えずにこれまで通りのことのみをしていたとしたら、亀屋は今ごろは他の呉服屋さんと同じ道を歩んでいたかもしれません。130年という亀屋の歴史の中で、「偶然にも時代が私と亀屋に進むべき道を教えてくれた。」としか言いようがない事件だったのです。
                        −つづく−
2002/2/5(火)  −私とIT−Part3

 時代を味方につけた亀屋染物店と私。しかしながら1999年の前半までは私の中にHPの青写真はまだありませんでした。・・・と言うか、パソコンの技術やwebの知識不足などから、正直言ってその必要性を感じ取ることができなかったのです。それまではもっぱら年賀状やパンフレット・伝票の作成などのワープロ機能、顧客管理などの検索ソート機能などが亀屋で言うところのITだったわけです。つまりローカル情報の管理が主で、ネットサーフィンもたまにしていましたが、それはあくまでも私自身の趣味の範疇だったのです。
 そんな時期、私がwebに傾注する契機になった1つの出来事がありました。それは1999年10月の株式委託手数料完全自由化にともなう「オンライントレード」(ネット上の株式売買)の登場です。これは1997年頃からのいわゆる「ビッグバン」=「証券総合口座の導入」「銀行・生保で投信窓口販売開始」「新外為法施行」「銀行本体による投信販売開始」「証券会社が免許制から登録制に移行」「投資者保護基金の創設」などの流れから必然的に生まれたものでした。それまで私は株式売買の経験は全くありませんでしたし、ニュース番組で流れる例の「為替と株」のコーナーは、私にとって外国語の番組と同じように難解なものでした。しかしそんな時、株の楽しさや醍醐味をある人物から教えられ、自分でも驚くほど自然に株取引(オンライントレード)の世界に入っていけたのです。各ネット証券会社を吟味して、オンラインで口座開設の申し込み、パソコンで株価を確認するために毎日のようにネットサーフィンをするようになり、ふと気が付くと電話代がウン万円に!(^-^;)
 証券会社のHPだけでなく、ネット上にあるいろいろなサイトを見ているうちに、その可能性を強く感じるようになり、「亀屋にもこんなHPが欲しい」そう考えはじめたのです。
 その頃からHP作成代行・販売をする会社が続々とできはじめていたのですが、私は外部に頼んで作ってもらう気にはなれませんでした。1つ目の理由は、この業種は専門性が高く、業界のことがある程度わかる人でなければ満足なHPが作れないのではないかと考えたからです。また2つ目には、ちょうどこの時期に「ホームページビルダー2001」という優れたHP作成ソフトが発売されたから。3つ目には、これまで独学で学んできたパソコンやwebの知識を何とか自分で生かしてみたいと考えたから。そして4つ目の一番大きな理由、それはお金が無かったから・・・株に全部使ってしまったのです。。。(-_-;)
 「自分自身の手でホームページを作ってみよう!」こう決心したのも今思うといくつかの偶然が重なったからとしか言いようがありません。ご近所にある「染のつかもと」さんにもいろいろとご指導を頂いて、非常に影響を受けました。m(_ _)m 
 時代と偶然に操られながら“運命の歯車”はまた動き出したのです。2000年3月「亀屋染物店HP」はその記念すべき第1歩を踏み出したのでした。\(^o^)/
                        −終わり−
2002/2/13(水)  −JC−

 チョット前の話になりますが(2/2)私の所属する八日市場青年会議所(JC)で新年総会がありました。単年度制のJCでは、毎年組織・役割・事業方針が変わり、八日市場JCでは、いつもこの時期に、代替わりの“お披露目”をするのです。1年前にこのHP上でも紹介しましたが、昨年2001年度理事長を務めたのは、写真左の角田将規さん。景気のためかメンバーが減少傾向にある中、数多くの事業をこなし、とても難しい舵取りだったのではないかと思います。本当にお疲れ様でした。。。
 さて、その角田さんからタスキを引き継いだのは、何を隠そうこの私!?。「順番だから、その時が来たらやることになるんだろうな」ぐらいに考えていたのですが、もう“その時”が来てしまいました。
 ここで言い訳を一つしておきますと、最近亀屋HPの更新やメールのお返事か少し遅れ気味だったのは理事長をやるにあったっていろいろと準備に忙しかったから。事業の方針や計画を練ったり、組織図を考えたり、方々の団体に顔を出したりと、この時期は結構仕事以上に忙しかったりするのです。一昨日はメンバーの結婚式に呼ばれ、おまけに挨拶までしてしまいました。(調子に乗って長いお祝いを言ったら、周囲からクレームが・・・) 
 今日やっと一段落したので僭越ながらアップさせていただきました。写真はお互い「1年間お疲れ様でした」「今年1年頑張ってください」と握手をする2人の姿。クリックしてご覧ください。 
3/3(日)−第14回天保駅伝大会−

 先日、駅伝大会に出場してきました。私達銚子法人会八日市場支部青年部会チームは今年で3回目のエントリーとなりましたが、この日のために10回近い合同練習をして臨んだだけあって、当日は皆真剣そのもの!朝8時に集合して開会式会場の海上(うなかみ)町役場に向かいました。
 この大会は今年で14回目を迎える由緒ある?大会で、千葉県の北東部にある海上町・飯岡町・東庄町の3町主催で毎年執り行われています。31qの行程を10人でタスキをつなぐレースですが、最近は健康志向の為か、今年は88チームが出場しました。
 受付を済ませると、皆それぞれバスに乗り、各中継所まで移動です。私は3区2.5kmの区間でしたが、同乗した同じ区間の選手達は皆緊張の面持ち。特に地元の中学生・高校生達は、日頃の部活動での練習の成果を試す時でもあり、チョット話しかけるのも気が引けそうな感じでした。
 10:00に中継所に到着、先ずは軽くストレッチをしながらコースを散策、一旦体を温めましたが、それでもまだスタートまで1時間以上あったので、自慢のムラマサ(シャープメビウスノートPC-MT1-H1S)を取り出しては暫しの間メールチェック=しっかりお仕事をする余裕を見せようとしましたが、、、、残念ながらモバイルのためについ最近購入した「FOMA」の電波が通じずあえなくリタイア(;_;)ホロホロ −チョットまだ田舎では早すぎたようです。
 せっかく暖めた体を冷やしてはいけないと、今度は近くのホテルのロビーで暖を取ってと・・・。そうこうしているうちにスタート前のコールが始まり、まもなく選手達が続々と第2中継所になだれ込んできました。といってもトップグループはやはり地元の学生チームが殆ど。我々のチームは遥か後方。60番目ぐらいにタスキを受け取りそのまま一気に?2.5kmを走り抜けました。。。
 写真は当日の我々法人会陸上部の選手達の表情、クリックしてご覧ください。 
3/11(月)−パーテーションマジック−

 このHPの主催者の私は、パソコンを3台使っています。仕事用に「NEC VALUESTAR NX VT550J2FD」 モバイル用に「シャープ Mebius PC-MT1-H1S 通称ムラマサ」 自宅に「台湾製 ASTRIKE EM500CS」 というラインナップ! もともとはそれぞれWindous2000・Me・98 が載っていてそのまま使い分けていました。パソコンは趣味でもあり、おのおの違いが解るので結構楽しんで使っていたのですが、最近は仕事の比重がだんだんと高くなってきたこともあり、効率を考えて全て同じOS/に統一することにしました。XPでいこうとも思いましたが、まだ出たばかりだし、毎年のようにOSを変えるのは“?”と思い、安定性と使い勝手のいい2000にすることに決めました。
 こんな時一番簡単な方法はOSを上書きすれば良いのですが、起動が不安定になったり、もともとの98やMeが2000の足を引っ張ったりする可能性があるので、これはあまり好ましくない。できれば古いOSをみな削除してクリーンインストールするのが良いのですが、問題となるのが周辺機器やソフトの対応。いきなりではチョト心配。
(^^;)
 やはりここは、元の環境を残しつつ2000とのデュアルブートを構築するのが一番。いくつか2000に未対応のものもありましたが、web上を探し回ってデバイスやアップデートモジュールを手に入れ、これでようやく全て同じインターフェイスでパソコンが使えると思いきや、ここまで来て一つ問題が!!! 
 2000で多くのソフトを使うには、Dドライブの容量が足りなくなってきたのです。ここは1つ働き者の2000のために部屋を増築してやらねばと、即座に買ってしまいました、パーテーションマジック。データを保持したままパーテーションの作成・サイズ変更・移動ができてしまう、まさにマジックのようなソフトなのです。。。
4/9(火)−献血−

 ここ数年献血に行くようになりました。採血は正直言って痛いし、時間もかかるし、その日はお酒も飲めない(^_^メ)。 でも良いことをしたという満足感が残るし、何処かの誰かが“これ”によって救われると思うとついつい気前良くなってしまいます。先日も近くの工業団地で献血バスが来るってんで仕事をサボッて出かけてゆきました。
 問診票に記入して、血液型判定・血液比重測定・血圧測定をすませると暫し「車中の人」に。15分ぐらいで400mLを採り終えて、ドリンクなど飲みながら休憩所で一休み。休んでいると小さい町なので知った顔がチラホラ。どの顔も心なしか満足げな表情をしておりました。
 
ちなみにこの献血、私が学生の頃は200mL献血だけだったと記憶していますが、最近では400mL献血・成分献血が主流になってきているようです。採血された血は、主に輸血用血液として利用する方法と血漿分画製剤(けっしょうぶんかくせいざい)として精製される2通りの利用方法があります。輸血に使う場合は、一昔前は採血した血をそのまま「全血輸血」するのが主流でしたが、現在では遠心分離して、血液を赤血球・血漿・血小板の3種類に分けて、患者さんが必要とする分だけ輸血する「成分輸血」が主流となっているそうです。一方血漿分画製剤は、血液中に含まれる血液凝固因子、アルブミン・グロブリンなどのたんぱく質を抽出・精製した一種の“お薬”です。血友病患者や免疫不全や感染症などに効果があるということです。
 
日本の血液事業は血液を売買する「買(売)血方式」から始まりましたが、血液の質の低下・献血者の健康悪化、人体の1部を売買するという倫理的な問題から1964年に今の「献血方式」が閣議決定されました。日本赤十字社でも人間の尊厳を守るため、無償の原則に基づいて血液事業を進めることが大切だと考えているそうです。みなさん「愛の献血運動」にご協力を !!!
4/20(土)  −ロータリークラブ−

 先日「八日市場ロータリークラブ」の創立40周年記念式典に行ってきました。ロータリクラブ???と思う人もいると思いますが、一言でいうと“世界的な奉仕団体”。1905年アメリカ−シカゴ市の青年弁護士ポール・ハリスは、事業は成功していたのですが、友人同士で親睦の団体を作れないものかと3名の仲間を集めて会合を持ったのがロータリーの始まりということです。例会場は各々の家庭や職場を転々と持ち回りしていたことから、会合の名称はいつしか「ロータリー」と名付けられました。一方日本のロータリーは1920年(大正9年)創立の東京ロータリークラブが最初でした。現在では、180余りの国家および地域に26,000余クラブ、会員数116万人。日本には2,000余クラブ、会員数12万5千人の会員がいらっしゃるそうです。活動理念は主に「奉仕」「友愛」「勤勉」「真実」「公平」・・・など。
 で、なんで私が招かれたかというと、既に皆さんご存知のように?今年私は八日市場青年会議所の理事長をやっているから、友好団体として招待されたのです。両者の活動理念はほぼ同じ、あと、いささか失礼な言い方かもしれませんが、敢えて違いはというとメンバーの平均年齢ぐらい。パッと見たところ60歳前後の方が多いようでした。 下の写真は、今年会長の鶴野航三氏とその御夫人の和江氏、式典の後の懇親会の席での1コマ。ちなみに亀屋と同業で“いそや呉服店”の店主さん。厳しい業界ですがお互いがんばりましょう。。。
5/8(水)  −小さな訪問者 Part4−

 一昨年の12月にひょっこりと亀屋に訪れた小さな訪問者達、来た時は手のひらサイズの彼らでしたが、今ではもうビックリするほど大きく成長しました。ドッグイヤーならぬキャットイヤー!(ナンノコッチャ) 当初は“落し物”をしたり、壁や柱をガリガリ掻いたりして手をやきましたが、主催者がトイレや爪研ぎを与えるとまもなく行儀もよくなり、今では2人とも立派なレディ&ジェントルマンです。
 そんな彼らの日常はと言うと、起床が朝6時半 まず私を起こしてくれるところから始まります。まあ本人達は朝寝坊な私を“起こしてあげよう”なんて気持ちはさらさら無くて、ただ早く外で遊びたい為にミャーミャー鳴くのでしょうけれど・・・。
 玄関を空けると外へ一目散。で、何処へ行くかというと、すぐ隣にある私の両親の家、朝食担当?の父と母にえさをもらいに行くわけです。ちなみにミーとタロの食事はキャットフードだけです、太り過ぎや虫歯などの心配から、いわゆる“ネコマンマ”は与えないようにしています。
 朝食を終えた2人は、食後の一服。毛づくろいをしたり、縁側で“コネコネ”をしたりして過ごします。(上の写真) それが終わると庭の虫を追いかけたり、デザート代わりに草を食べたりします。猫の胃腸の調子を整えるには、この青草が良いらしいのです。
 昼過ぎになると今度はおやつの時間、私もビックリしたのですが、彼らは鼠を捕ってきます。亀屋では少しですが稲作もしています、その為に藁や籾殻が倉庫などのあちらこちらに散らばっていて、それらを目当てに鼠が寄ってくるのですが、ミーとタロはその鼠をおやつ代わりに食べてしまうのです。口を真っ赤にして鼠を貪る様子は、普段のかわいらしさとは打って変わってと
ても野性(野獣)的な一面を感じます。
 猫は縄張り争いをする習性があります、今までよく見かけていた猫が急にいなくなったりするのは、縄張り争いに負けて他の猫にその場所を追い出されてしまったからなのです。でもこの2人については大丈夫、タロ(下の写真)は体も大きく(4s)喧嘩もめっぽう強い。よく近所の猫がこの“亀屋リゾート”を狙ってちょっかいを出してくるようなのですが、タロはそんなよそ者をやっつけてしまいます。ミーは頼もしい兄に守られて日々安閑と暮らしています。また、この2人はとても頭が良いようです、
庭の中では飛び回って遊んでいますが、危険の多い道路には近寄らないのです。(かなり親バカ)

 というわけですっかり亀屋の一員となたミーとタロ、ホームページ上では、“猫の手も借りたい”ほど忙しい主催者を助けてマスコット兼案内役として活躍してくれています。夕方暗くなってくると遊び疲れた彼らは、そろって戻ってきます。一日中外で遊んだためでしょうか、逆に家の中では行儀良くしてくれています。 
5/22(水)  −商工会青年部−

 先日、八日市場市商工会青年部の第35回通常総会が執り行われなした。
 ご存知の方もいらっしゃる?とは思いますが、商工会青年部とは、「地域振興」「組織活性化」「福祉増進」「永続的共生」などを理念として、
商工会の会員である商工業者またはその親族で、その会員の営む事業に従事する年齢満40歳以下の男性によって構成されています。また、商工会青年部に課された問題や事業に取り組むための姿勢として、推進力、心の衝動、刺激の意味を持つ“IMPULSE”が合言葉となっていて、Independence(自立)/Information(情報)/International(国際化)/Incubation(創出)/Intercommunication(交流)なども青年部のテーマとなっています。
 と、いきなり難しい説明から入りましたが、要するに地元商工業者の若い衆が集まって、商売のこと、街のことなどを考えながらお互い自己研鑽をするという団体なんです。具体的には、毎年リーダーズフォーラムや研修会/地元のお祭の協力や野球大会への参加/新年会や納涼会・忘年会/国内商業施設の視察や講師を招いての講演会等々の活動をしています。
 ここのところの不景気で、特に我々昭和30〜40年代生まれのの若者達?には特に厳しい状況が続いているわけですが、八日市場では50名余りの青年部員が元気に活動をしています。 で、当然のことながら私主催者も加入していて、今年度は副部長の重責?を担うことになっています。
 上の写真(右)は13年度部長を務めた西村裕一さん、温厚な人柄の“癒し系の部長”として1年間私達のお兄さん役を務めてくれました。写真(左)は14年度新部長を引き受けることになった中川雅浩さん、西村さんから部長バッチを受け取っているところなのですが、その重圧の為でしょうか、気のせいか緊張気味のご様子。。。
 ここだけの話ですが、私達の一つ上の世代は、「生めや増やせや?」「日本列島改造論」「国民所得倍増計画」など、今そんなことを言ったら「この人???」と思われそうなほど景気のいい時代でした。私が物心付いた時は、先々代などは、サラリーマンを“勤め人”と言ってバカにしていました。小さくても商人の方がずっと“実入り”が良かったからです。本当に商工業者にとっては“いい時代”だったのです。
 ところがバブルが弾けてからは、、、、、。
と、これ以上書くとグチになってしまうのでこの辺で止めておきます。これが普通の国の普通の状態! 私達の世代は、ここからがスタートなのですから。。。
5/29(水)  −銚子連絡道路−

 皆さんご存知のとおり?今年私は八日市場青年会議所の理事長をしています。かなりハードな奉仕団体で、理事長ともなると、なんだかんだと仕事より忙しかったりするのです。そんな訳で今日もここ、飯岡町にある「いいおかユートピアセンター」で行われている「第5回銚子連絡道路整備促進地区大会」に来ております。普段何かと行政サイドにはお世話になっているので、こういう人集めの場にはなるべく参加するようにしています。実はいま、千葉県副知事や地元の代議士・県会議員・首長さんたちの挨拶の最中なのですが、こっそりとパソコンを開いてこうしてHPを更新しています(^_^メ) 普段仕事が疎かになりがちなので、こういう時には、逆に遠慮なくせっせとお仕事をしてしまいます。ノートパソコン1つあれば、お店を持ち歩いているようなもの、世界中何所へ行っても仕事ができちゃう、ホームページビジネスの強みです。ッと、また話がソレておりますが、、、
 大会の主旨はというと、松尾町から銚子市まで30kmに渡って4車線の高速道路を建設しましょうと言うもの。他の幹線道路と一体となって地域の連結を強化して、広域的な連携・経済の活性化を目的としています。
 第1部は前述したように議員さん方の挨拶が続き、第2部は、NHKの「視点・論点」 テレビ朝日「ニュースステーション」などでよく政治問題を解説している岩井奉信(いわいともあき)氏の講演会。テレビで見ていてもそうなのですが、一般の政治素人にも、とても解りやすい話をしてくれました。私も今年度は小さいながらも組織の長として、会のあり方や、どうしたら効率的な事業ができるか、といったようなことを考える時間が多くなってきました。パソコンはリターンキーを押せば確実に命令を聞いてくれますが、人間はそうはいかない、下手をすると命令と反対の結果になりかねない。。
 
で、話の中身はというと、主に小泉政権のこと。「現内閣は政治の素人集団」「国会はスキャンダルの山」「政治改革の見通し」といった内容。正直に言うと他の人と同じように、あまり聞いていませんでした。今回集まったのは、この千葉県の東のはずれに道路を造りましょうという人達なので、天下国家の話はあまり馴染まなかったようです。。。 
6/3(月)  −ビジネスゲーム−

6月1・2日と千葉県青少年女性会館(千葉市稲毛区)に行ってきました。で、何をしてきたかと言うと「ビジネスゲーム」、会社経営をコンピューター上でシュミレートして、現実の会社の経営方法を学びながらチームごとに会社の業績を競うというゲーム。
 業種は製造業を想定していて、各チームは自社の経営方針に従って戦略を立て、生産・販売・雇用などの意思決定をします。するとその決定をコンピューターが判断して、企業が成長または衰退してゆきます。これを20期継続して、最終的に一番業績の良い会社のチームが優勝となります。ゲームの途中で資金がショートしたり、債務超過に陥ると会社は倒産し、そのチームはゲームから撤退しなければなりません。
 写真はこのゲームを考案した太田正樹氏、早稲田大学アジア太平洋研究センター教授で経済学の著書も多数出版されているそうです。先生の話によると、このシュミレーションによって企業経営を疑似体験すると、生産・営業・財務の関連を把握して損益計算書・貸借対照表などの財務諸表の仕組みが理解でき、戦略的な市場の分析力・総合的な経営力が身に付くとのこと。当日集まったのは、千葉県建設業協会青年部の人達をはじめとする経営のルーキー達。それだけに皆さん表情は真剣そのもの!ゲームとはいえ毎期の経営判断に激論を戦わせておりました。
 私達のチーム=液晶画面を生産・販売する「ハヤシビジョンカンパニー」はというと、当初は「業界売上No1」を目指してスタートしましたが、最初の資金繰りに失敗して長期借り入れをせずに工場を3つも建ててしまいました、その結果広告や人件費・市場調査などの販売管理に資金を充当できずに、で出しから売上不振に陥ってしまいました。原料の仕入れを調整し・短期借り入れを繰り返しながら何とか持ち直しましたが、今度はいざ市場が拡大したときには売るものがない、、、ようやく生産を拡大したときには今度は市場が冷え込んで需要が伸びない。おまけに借りるべきお金の桁数を1つ間違えた為に資金がショートして“不渡り”になるなど悪戦苦闘の連続。何とか倒産は免れたものの、もう後1〜2期で撤退かというところで運良く?ゲーム終了の合図。
 最後に先生が総評をしてくれましたが、一同経営の難しさを改めて自覚した2日間でした。。。
6/17(月)  −JC−

 先日、青年会議所の会議で木更津(千葉県)まで行ってきました。5年程前に完成した東京湾アクアラインは神奈川県と千葉県を結んでいますが、その千葉県側が木更津市といいます。このコラムを読んでくれている全国の皆さん、だいたい位置は判ってもらえたでしょうか。ここ八日市場市からだと車で2時間程の道のりです。
 で、何をしてきたかというと、ご覧のようなミーティング。千葉県には25のJCがあって、それぞれの理事長さんがお互い連絡・報告をしたり、これからのJCについて意見交換をするのがその主な内容となります。千葉県各地から私を含めて25人が集まり、それぞれ意見を出し合うわけです、最近はそれに加えて不景気のためもあり、JCに限らずあらゆるNPO・奉仕団体が大きな転換期に差し掛かっているこのご時世、もともとかなり時間のかかる集まりなのですが、この日も往復の時間を含めると約10時間ほど“JC漬け”の1日となりました。皆さん自分の仕事を放り投げて、真面目に熱心に社会奉仕のことを考えているんです。

 私はこういった会議に出かける時は必ずあることをします。それは普段使っているデスクトップパソコンの情報をノートパソコンにコピーすること。ここ1年ほどいつもそうなのですが出かけるときには必ずそのノートパソコンを持参して行きます。ハードディスクの中の膨大な情報を参照できる上に、携帯に繋げば簡単にwebを散策できてしまう、そのうえ何時何処からでも亀屋染物店HP主催者として質問や注文に対応できるのです。おまけに都合のいいことに、ペーパレス(=コンピューター)会議なので他の出席者からは、真面目に資料に目を通しているとしか見えないのです。この日もメールで「のぼり」のデザインと見積りの依頼を受けたのですが、会議の合間に対応してしまいました。
 
もし数年前だったら。翌日会社でサンプルと見積もりを作り、その後先方に打ち合わせに行くという手順になるのかと考えると、本当にブロードバンド時代に生まれたことを感謝しなくてはなりません。他の理事長さん方に申し訳なく思いつつ木更津を後にしました。。。(^_^メ)/
6/26(水)  −スイカロードレース−

 今週の日曜日(23日)に「第19回富里スイカロードレース」があり、我々法人会陸上部(ビッグマウスチーム)の有志たちは無謀にも?10kmのサバイバルレースに出場してきました。冨里市は千葉県北部にある人口約5万人の街、おいしいスイカの名産地として有名なところ。その地場産業にちなんで毎年この時期に、給水所でスイカが食べられるユニークなロードレースが開かれるのです。毎回8,000人のエントリーがあるこの大会、当日は東京国際女子マラソンなど数々のレースで優勝し、今はマラソン
の伝道者として活躍中の谷川真理さんが招待選手として参加するなど、会場の雰囲気はいやがおうでも盛り上がります。
 また、この大会はご覧のように緑に囲まれた中学校のグランドからスタートするのです、そのためか会場のいたるところに各チームのテントが張られ、家族連れがお弁当を広げた
りするピクニック状態の大会でもあります。
 さて、私はというと、ここのところ何かと不摂生が続いて、レース前に風邪をひいて殆んど練習もせずにエントリーしてしまいました。今回は駅伝ではなく個人プレー?のロードレースということもあり、普段も順位などは気にせずに走るのですが、この日も初めから
スイカ目当て!
 スタート前の準備運動もせず谷川選手を見に行ったり、下痢気味でトイレに駆け込んだり「あいつは何処?」とビッグマウスの面々から冷ややかな視線を浴びまくっておりました。。。

 ピストルが鳴り響き各選手が一斉にスタート!と思いきや、数千人のランナーがいるわけで、一番前の選手がスタートしてから私達が最初の1歩を踏み出せるのは2〜3分後になります。当日は小雨混じりで少し肌寒いくらいの天気、でもマラソンには絶好の日和となりました。途中5ヶ所ある給水所では他の誰よりもしっかりと給水、最後の第5給水所でのスイカのおいしかったこと。ぺろりと4つたいらげて1時間ほどでゴール。大会会長でもある富里市長も招待選手の谷川真理さんも言っていました。「体力に応じた無理のないペースで走って、おいしいスイカをたくさん食べて楽しい1日を過ごしてください」と。。。
誰よりもそれを実践した主催者でした。(^_^メ)
6/30(日)  −パーフェクトファミリー−

 本日はミュージカル『パーフェクトファミリー』のご紹介です。私の所属する青年会議所は社団法人=社会奉仕団体。社会開発運動や自己啓発と並んで青少年育成も重要な事業の一つ、その一環として今年千葉ブロックではパーフェクトファミリーというミュージカルをやることになっています。
 で、ストーリはというと・・・リストラされそうな天使のチャランとポラン。近頃では地獄行きの人が多くて、天国は暇。もっと幸せな人を増やせと命令されて、2人は地上に出向することになりました。チャランとポランの目指す先はいつもけんかの絶えない家族=日本の「一本木家」。ボケの始まったおばあちゃんは家族をかきまわし、長女の梢はカンカン。長男幹太はサラリーマンの父をばかにして、大リーグに入って大金持ちになると宣言する。母親の口うるささには、子どもたちも、もう飽き飽き。一本木家では、クールで頭のいい若葉だけがばらばらな家族をおかしいと感じている。「みんな間違って家族になっちゃたんじゃないかな?」子供達三人は、理想の家族(パーフェクトファミリー)を探しに、チャランとポランと一緒に旅に出発します。。。

 出演するのは殆どが小学生〜中学生。写真はその練習風景です。もちろん私は演出や舞台のことは全くわかりません、でもビックリしたのは子供達の生き生きとした表情!亀屋の近くには小学校・中学校があるのでこの年代の少年少女達は良く見かけるのですが、これほど元気はつらつとした表情はめったに見られない、という顔がずらりと並んでいるではありませんか。。。子供達の楽しそうな表情を見ていると、彼らに何か大切なものを贈れた気がしてこの事業の意義深さを感じます。本番は8月25日(日)青葉の森文化ホール。元気な子供達の躍動をぜひみなさんご覧ください。

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