7/16(火)  −JC−

 昨日は同じ千葉県にあるJC(成田青年会議所)の臨時総会があるってんで、いつものようにその日は朝から“密度”を上げて、仕事を早めに切り上げて、会場の「成田ビューホテル」に行ってきました。
 単年度制(1月〜12月)のJCでは、7〜8月に次の理事長候補を決める臨時の総会が開かれるのです。チョット気が早いと感じるかもしれませんが、毎年方針や組織・役職の替わるJCでは、逆にこのバトンタッチが重要で、次の体制を準備する為にも、だいたい何処もこの時期に“理事長予定者”を決めるわけです。
 で、その総会の講師として「JCの魅力と今後のあるべき姿とは」というテーマで基調講演をしてくれたのが、日本青年会議所の松本秀作会頭!(上の写真)。 日本全国約54,000人(745会議所)のメンバーのトップの言葉<「既成概念にとらわれず多様性を認め合える団体」「経営経済を学び社会に働きかける団体」「街の人口のマジョリティに配慮した組織づくり」>は、同年代のメンバーの心に深く響いたようでした。千葉県各地からその日参加したメンバーは皆、会頭のしてくれた話を“肴”に夜遅くまで飲み歩いていたと言う話ですから。。。
ちなみにこの松本会頭の仕事は全国の学校の卒業アルバムの製作だそうです、会頭として日本中を飛び回る忙しい毎日でしょうが、機会を見つけてはお得意さんの挨拶回りもしているとのこと。まるで私がJCで千葉県中何処に行くにもカメラを持ち歩いて、時間さえあれば写真を撮り、こうして日記を更新してここ(ホームページ)を訪れるお客さんに話題を提供しているようなもの。。。(チョットちがうか???)

 また、この日のもう一人の主役が、総会でめでたく理事長予定者となった高本さん(下の写真右)。総会後の懇親会で、今年度理事長(写真左)の出山さんとの2ショット。この時、壇上では成田JCのOBの方が話をしていて、他の人たちはかなり真剣な面持ちで聞いていましたが、この2人だけはご覧のようにリラックスモード
。私も去年の7月ごろ八日市場JCの理事長に決まったのですが、今思うとかなり往生際の悪いこと(ヤリタクね〜などと)言ったりしていましたが、この日の高本さんは、成田の理事長としてこれから起こる出来事を今から楽しみにしている、待ち遠しくてしょうがないという感じでした。当日私はいつものようにデジカメ片手に写真を撮りまくっていて、多少会場を“荒らした”と気心の知れたメンバーから揶揄されてしまいましたが(^_^メ)。。。
7/29(月)  −サマーコンファレンス−

 昨日は「サマーコンファレンス2002」に行ってきました。日本青年会議所では「京都会議」「全国会員大会」「サマーコンファレンス」と3つの大きな大会があります。簡単に説明すると「京都会議」はJCの“新年会”という位置付け、「全国会員大会」は例えるとすればJCの“夏祭り”のようなものです。で、「サマーコンファレンス」というのは、別名「ビジネスコンファレンス」と言われているとおり、社会や経済との関わりを重視していて、一般の人達も参加できる“開かれたビジネス会議”という性格があります。日本青年会議所の中には「社会起業家育成委員会」「環境運動推進委員会」「NPO支援委員会」「国境なき奉仕団委員会」「家庭の教育実践委員会」「地域主権実践委員会」など20あまりの委員会があるのですが、それぞれが自分達の事業内容を紹介するブースを出して、会場となったパシフィコ横浜はさしずめ屋台村状態。
 当日私は、主に「P to P会議」=「President to President 会議」に出席していました。JCでは理事長と会頭のことをPresidentと呼びます。そのプレジデント同士が一堂に会してお互いの問題点を話し合い、解決策を探ろうというのがこの会議の主旨なのです。その中で特に議題として上がったのが会員拡大について。私がJCに入った1994年には全国で64,000人いたメンバーが今では54,000人になってしまっているのです。場所によってはメンバーが減少した為に、事業費が減り、健全な財務体制を組めずに、組織や事業を縮小したり収益事業をしたりと、かなり苦しい台所事情となっています。かく言う私の八日市場青年会議所もメンバー数が減り(28人)ここ数年かなりきびしい状況が続いています。
 写真は前回も紹介させていただきましたが日本青年会議所の顔=松本秀作会頭。青年会議所は50年前に東京と大阪から戦後の荒廃した町の経済復興をと当時の青年経済人が立ち上がり運動を巻き起こし現在に至っています。
それから50年経って経済も成長の時代から成熟の時代へと変わり、ものに対する価値観も変わりました。青年会議所の運動も新しい時代に合わせてその形を幾度となく変えてきました。今、戦後の荒廃期に匹敵するほどの経済の悪化の中、JCは大きく組織を進化させていかなくてはならない時期に来ています。この日、全国から集まった理事長達は私を含め、松本会頭の話を耳をダンボのようにして聞いていました。。。
8/1(木)  −改装−

 先週から改装がはじまりました、といっても今回はHPではなくて、亀屋の実店舗のこと。
 web上にあるjpkameya.comの方は“外観”や“内装”などの変更は思いのまま、その上120MBと広くてゆったりとした“店内”、それどころか1年365日昼夜オープンしていても光熱費もかからず、おまけに100年経っても少しも朽ちることはありません。
 一方「亀屋」の方ですが、今の店舗ができたのは私が小学生になる直前の1968年。その時はまだ子供で解りませんでしたが、最近になっておばあさんに聞いた話では、当時店舗新築をお願いしていた施工業者が前金を渡した途端にいなくなって(夜逃げ)しまい、しょうがないので大工・左官屋・板金屋・電気屋などをそれぞれ途中から個別に頼んで何とか亀屋が出来上がったそうです。が、出来上がったのは良いのですが、そんないきさつ=棟梁のいないやっつけ仕事のせいで、最初の嵐の時にいきなり“雨漏り”になったそうです。結局お金を倍払って“不良品”をつかまされたわけです。
 出だしからついていない亀屋でしたが、ここに来てまたかなりあちこち痛んできたので、とりあえず外壁を張り替えることにしました。私自身は全部壊して新しく新規に立て直そうと考えたのですが、田舎ではこんな時けっこう発言力があるのが親戚の人達、何か始めようとすると必ずといっていいほど意見を言いに来る。親と子は対立するのが常なので、「さあどっちに軍配を上げようか」みたいな感じで親族会議が開かれるのです。当然のことながら親の兄弟は「生めや増やせよ」世代、多勢に無勢で「ホームページを見てわざわざ亀屋に来てくれるお客さんの為にも、ゆったりとくつろげる店舗を作りたい」と言う私の夢は、叔父さん叔母さんの反対で遇えなく却下・・・・(-_-;)
 ま、景気のいい時代と違うしな。。。。。
 というわけでようやく始まった改装工事、新店舗の夢はまだ先になりそうですが、とりあえずどんな格好になるのか楽しみです。店舗販売は暫くできませんが、ホームページからのご質問・ご注文にはもちろん応じていますのでお気軽にご連絡ください。
 あと、全然関係ないのですが、下の写真は毎年7月23日・24日に行われる、ここ八日市場市富谷区(とみやく)のお祭りの風景。写真を撮るまでは良かったのですが、その後2〜3日はお疲れモードになってしまい、掲載する機会を失っていました。
(^_^メ)
 八日市場は田舎街なので遊びといったらお祭りぐらいしかない!? 年に1度、皆の楽しそうな表情をご覧ください。 
8/7(水)  −富士登山−

 私の所属する青年会議所では、精神力・体力・協調性の向上、環境視察を目的に4日・5日と「富士特別研修」が行われました。(左の写真をクリックしてご覧ください。)
 初日は朝4:00に起きて集合場所の習志野へ、駐車場に着くと既に参加84名の殆んどが思い思いの登山スタイルに身を包み出発を今か今かと?待っていました。
 AM6:00予定通り一行を乗せた大型バス2台は一路富士吉田新五合目へと。車内では、皆いつになく早起きしてしまってまだ眠いのか、殆んどの人がお休みモード。。
 AM11:30五合目にある休憩所「みはらし」にて開団式・昼食・安全祈願を済ませた我々は13:00に班ごとに分かれて登山開始!私の班=ピークス(peaks)は私を含め斉藤さん・石井さん・大久保さん・岩田さんの5人、これも何かのご縁と世間話をしながら登り始めたのはいいのですが・・・・。
 13:30歩き始めて30分、以前富士山に登り高山病にかかった経験のある大久保さんが不調を訴えて徐々にペースダウン、我々の班は本隊から遅れ気味に。が、休憩をはさみ水を補給、また私が強引なアドバイス=「私は大学山岳部で富士山には何度も登りました、ですから山登りに関する多少の知識はあります。私の経験から言って大久保さんあなたには高山病の兆候はまだ出ていません!!!」をするとまるで水を得た魚のように息を吹き返しました! 正直に言うとこの時本人はかなりバテ気味で、頭痛やめまいなど多少の症状は出ていたのですが、山登りは“気合い”です!。疲れ気味のメンバーを“暗示”にかけて班をまとめるのも、この日班長を任された私としては当然の対応かと??? あとまた、この日そんな訳で、前半多少ペースを緩めることとなりましたが、そのおかげで班員全員がうまく高度順応し、その後の山行がスムーズに進んだことは結果的に大久保さんの“功績”であることは言うまでもありません。皆が体力に任せどんどん登っていたとしたら、逆に危険な状態になっていたかもしれません。
 17:00我々は無事当日の目的地=八合目の山小屋「元祖室」に到着。食事をして仮眠をとり翌日の登頂に備えました。
 6日AM1:30我々一団は頂へと向かいます。暗闇にトーチを照らしお互いを確認しあいながらAM4:10山頂に到着。
 AM4:45お決まりの名物“ご来光”を眺めてから皆で記念撮影をして、持参の弁当を食べました。道中苦しかっただけに登頂したメンバーはみな満足げなご様子。
 前述しましたが、私自身は大学山岳部時代「練成合宿」と称して毎年富士山に登っていました。その過去4回は寒〜い冬の時期、天候も悪く普段心がけも良くない為かその間“ご来光”を拝めたことは1度もありませんでした。その上“練成合宿”でしたから景色など見る余裕もなくただ前を歩く人の踵だけを見ていた記憶があります。富士のイメージやそれを取り巻く環境・自然について考える事もありませんでしたが、今回はメンバーと天候に恵まれて本当に楽しい山登りができました。設営してくれた委員会の皆さん本当にありがとうございました。。。
\(^_^=^_^)/ どもども
8/22(木)  −電磁波−

 先日は、亀屋染物店の改装の様子を紹介させていただきましたが、今回はjpkameya.comの現場です。
 ホームページを作りはじめてからここ2年程の間、徐々にパソコンに向かう時間が長くなってきていました。最近ではもう朝から晩までカジリツキ状態。主催する私としては本当に嬉しい限り、自分で1から作った“お店”ですから、これはもうどんなに忙しくても、どんなに難解な質問を受けようとも不満のあろうはずがありません!(キッパリ)。
 しかしながらここに来て1ッ紋代が、、じゃなかった問題が!? それは電磁波のこと。。。電磁波とは空間を伝わる電気と磁場の波です。この波は、電気と磁気がものすごい速さで変動するとき生じます。ドアのノブをさわったときビリッとしますが、これは静電気の放電によるものです。静電気そのものは振動しませんから電磁波は生じませんが、静電気が放電した瞬間、電気がものすごい速さで変動しますから、その際電磁波が生じます。
 同様に雷も一種の静電気による放電現象ですから、やはり電磁波が生じます。稲妻が光った瞬間、ラジオにガリッという雑音が入るのは、ラジオが雷で生じた電磁波をキャッチしている証拠なのです。
 日頃私たちが当たり前のように使っている様々な電化製品からの電磁波も昨今話題になっています。電磁波が人体に悪影響をもたらすのではないかという懸念が欧米などでも急速にひろがっています。そしこそれらは目に見えず音もなく、長い時間をかけて私たちの身体に悪影響を及ぼすと言われています。
 私自身、「パソコンを長時間使っていてなんだか調子が悪い、気のせいか頭痛がする」などの症状がありました。シールドやアンテナキャップ・帽子などいろいろと試してみましたが、(あくまで私の感覚ですが)植物が一番良いようです。父が趣味で育てている植木などをパソコンの周辺に置いてみたところ、心なしか体調が戻ったように感じています。私の友人の話では「植物は生命体としては地球上で一番優れている。水と二酸化炭素と太陽光があれば自分自身で光合成をして成長を続けることができる。その生命エネルギーが酸素を生み、磁場やマイナスイオンを緩和して人間に適した環境を作り出してくれる・・・」と言うことでした。
 科学的な根拠もないのに恐縮ですが、心当たりの方は是非試してみてはどうでしょうか。職場に緑があるとそれだけでリッチな気持ちになりますし。。。
9/3(火)  −よさこいソーラン−

 ここ八日市場には地元の私でさえ把握しきれないほど多くのお祭りがあります。その中でも「よかっぺ祭り」は、市民相互の親睦、産業の復興、観光の発展を図るものとして昭和54年に発足してから今年で24回目を迎えます。地元のPTAや青少年相談員、婦人会・老人クラブ・商工会やサービス券会・商店街協会などが協力して毎年盛大に行われています。とにかく八日市場のような田舎には遊びといったらもうお祭りぐらいしかありません。近所の自称コラムニストに聞いてみたところ、八日市場で目立ちたいと思ったら「ツッパリ」か「サーファー」か「祭屋(=祭りだいすき人間)」になるのが一般的だそうで、ツッパリやサーファーはある程度若いうちにしかできないけれど、「祭屋」はかなり年をとっても大丈夫!適当な所(年齢)で「祭屋」に転向するのが自然の流れだそうで、今は少子高齢化とともに「祭屋」の比率がかなり高くなってきたのだとか!?
 で、我々商工会青年部と八日市場青年会議所が担当したのがご覧の「よさこいソーラン踊り」。昨年もご指導いただきましたが、それが大変好評で今年もリーダーの金崎さんはじめとする「千葉よさこい連絡協議会」の方々に来ていただきました。踊りを習い、できればここ八日市場でもチームが作れないものかと・・・。
 写真は9/1(日)に勤労青少年ホームの体育館を借りて行われた第2回目の練習会の様子、皆さん真剣です!!! (写真をクリックしてご覧ください。)
 八日市場には神輿を担いで街中を練り歩く神社祭り=祇園祭(ぎおんまつり)がありますが、これは格式と伝統を重んじるどちらかと言えば荘厳な“静”の祭りです。
 一方高知のよさこい祭りをルーツとした「よさこい鳴子踊り」は、「手に鳴子を持つ」「曲のどこかにソーラン節を入れる」というたった2つのルールから成り立っている開かれた“動”の祭りと言えるかもしれません。(私が学生時代に一斉風靡した“北斗の拳”の「北斗神拳」と「南斗聖拳」と考えていただければよいでしょう。ナンノコッチャ)参加するチームがそれぞれ音楽や衣裳・振り付けを自由に発想して自由に踊ることで、“よさこい”には都会的&現代的なエンターテイメント性が育まれました。
 本番は10月6日(日)15:00〜 練習の成果は如何に?!・・・
9/15(日)  −寿−

 先日、我々富谷囃子連の一行は、知り合いの結婚式に招かれ、近くのホテルへと“出張”してきました。

 で、何をしたかというと、これはもうお決まりで、新郎新婦のためにおめでたいお囃子を披露することになっています。

当日は13:30に地元のコミニティーセンターに集合して身支度を整えて、送迎バスに乗り込みました。

 ホテルに着くとひとまず控え室へと、ッとここまでは良かったのですが、、、、

 控え室に用意してあった酒と肴をやっているうちに、私はホロ酔い気分に・・・本番までのチョットの休憩のつもりが

       ZZZzzz・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、目が覚めると閉会となっていたそうな・・・(・・;)

写真は閉会後の記念撮影、気のせいか皆さんカメラを握る私に「何処へ行っていたの?」と呆れ顔のご様子。。。(^_^メ)
 
9/24(火)  −JC−

 かなり前のお話ですが(9/8)、青年会議所(千葉ブロック協議会)の会員大会に行ってまいりました。
 当日は朝10:00に八日市場市役所前でお隣の旭青年会議所さんと待ち合わせ、皆で大型バスに乗り込むと、会場の船橋にあるサッポロビール千葉工場へと向かいました。この会員大会は、例えるなら青年会議所の「夏祭り」といった位置付けです。それだけに、皆ラフな服装で堅苦しい雰囲気はあまりありません。行きのバスの中でも、そんなこともあってか皆ビールを飲んだり、居眠りをしたりと早くも無礼講モードとなりました。
 13:00に受付を済ませると、先ずセレモニーが始まりました。言い遅れましたが今回は35回目と言う節目の大会で、歴代会長紹介などがあり、かなり厳かな雰囲気の中での式典となりました。2時間ほどの式典が終わり、すっかり酔いも覚めた我々は大懇親会会場へと。
 今回の懇親会の目玉は岩崎貴弘氏(通称“ロック岩崎”)率いるエアロック・エアロバティックチームによる航空ショーです。これまで日本では誰も実現できなかった唯一のプロの曲芸飛行!航空自衛隊が誇る世界最高峰の戦闘機、F-15イーグルのパイロットとして頂点を極めたロック岩崎氏がその正確無比な飛行技術で芸術的な曲芸飛行を見せてくれるわけです!(写真をクリックしてご覧ください。) 当然のことながら私も、また会場を埋め尽くしたJCメンバーも“エアショー
”はテレビや映画の中でしか見たことがありません。轟音とともに繰り広げられる複葉機「ピッツ・スペシャル」の舞いを、しばし歓声とため息とともに見上げていました。。。
9/26(木)  −日暮里−

 先日、東京の日暮里まで行ってきました。業界の方は良くご存知でしょうが、日暮里といえば日本一の生地問屋街! 当然亀屋HP主催者の私も、今どんな素材・色・柄が求められているのか、商売がらとても興味のあるところ。実際に生地を見て触って確かめて、今後の繊維業界の動向を占いつつ、またそれとは全く関係がありませんが、冷えた生ビールを飲るのも良いかと。
 行ってみて先ず驚いたのは生地の種類の豊富なこと! 私達は「トマト」というお店に入ったのですが、1階から3階まで全部含めると1万種類以上の布がありました。
 それにその安さ! 100円/uからの生地が、無造作に山のように積まれていました。まるで「ホラどれでも持っていけ!」みたいな感じでした。店長さんに話を聞いてみると「タマゴと並んでこれらの布地も“物価の優等生”。機械化とともに中国・台湾の安い労働力を使った安価な生地が大量に日本にも輸入されるようになり、近年は国内産の布地は圧され気味。それにつれて裁断や縫製工場も一時期の活気を失いつつある。云々。。。」とのことでした。
 その話を聞いて私の頭をよぎったのは何故か、1995年1月17日の阪神・淡路大震災のこと。震度7の激震・死者6,432人の未曾有の大惨事でしたが、震災後は多くの方々のボランティア活動で徐々に街が立ち直りを見せる中、チョットしたニュースがありました。それは救援物資の中に着古したシャツが入っていたというものでした。その番組では、苦しんで困っている被災者に対して“そんなもの”を送るなんてけしからん!という論調でしたが。
 でも私は、それは物の無い時代に育ったお年寄りが、こんなものでも役に立てばという“善意”で提供したものだろうと感じました。時代を経て物の価値観が変り、当時貴重だったものが今は“ゴミ同然”になってしまったためで、そのお年寄りには悪意など全く無かったのだと、私自身は当時そう思ったので強く心に残り、今でも覚えているのですが、、

 ま、強引にまとめに入りますと・・・

とにかく相変わらず厳しい業界です。。。(-_-メ)
10/1(火)  −旭川−

 先日旭川まで行ってきました。何度も紹介してもうお馴染みとなったと思いますが?私の所属する青年会議所では、毎年この時期に全国のメンバーを対象に大会が開かれるのです。
 正直言って私自身は、入会してからというもの、ただの1度も参加したことはありませんでした。というのも亀屋染物店は、ちょうどこの時期が“書き入れ時”! 仕事が詰まっていたり、他の用事が出来たりなかなか行くチャンスがありませんでした。
 でも今年は理事長なので、「立場上行かなければならないものだ」と逆に会社の人には恰好の言い訳になりました
。でまたこのHPのお陰でノートパソコンさえ持っていけば、日本全国、いや世界中何処へ行ってもバリバリ?仕事ができてしまう。両親も「あいつはしょっちゅう方々出掛けるが、不思議なことに旅先からでも注文を取ってくる。旅費もバカにならんが諦めるしかないか」と最近になってようやく考えはじめたようです。ここ数日ご質問やご注文を下さった方、私が旭川にいるなんて気付かなかったでしょ?多少お返事や商品発送が遅れ気味になったぐらいで・・・。そう私は実は人間ではなくネットコンピューターそのものなのです!!!(これは冗談です)
 その上今年は会場が旭川。チョット足を伸ばせば「北の国から」で有名な富良野や露天風呂にも行くことができます。青年会議所の内々の話題だけでなく、このHPを見てくれている皆さんにもホットな話題を提供できる。
 そんな訳でチョット強引なコジツケのようですが、条件が全て整ったって感じで、とうとう機上の人に。 
現地では観光に気をとられて大事な会議に遅刻するという(いつもの)一幕もありましたが、同行してくれた熱田君と北海道を満喫してきました。道中の様子は写真をクリックしてご覧ください。。。
10/26(土)  −大阪−

 今度は返す刀?で大阪に行ってきました。今回も青年会議所の流れなのですが、八日市場JCではここ何年か、皆で国内旅行に行くのが慣例になっています。今年は担当委員会(まちづくり委員会)の企画で何故か?『景気回復は大阪から!』ということで、またまた私は機上の人へと。。。
 羽田空港へは皆で乗り合いで行ったのですが、もう1台が羽田を通り越してしまい“ヒヤッ”とする場面も・・・これからの道程を暗示するような出来事でしたが。
 私は機内では毎度の事ながら居眠りZZZzzz
zzz 目が覚めると其処はもう大阪ってな具合。飛行機に乗りたての頃は窓際がいいとかゴネたり、タダで飲める水割りをガブガブやったりでかなりお騒がせをしておりましたが、こうしょっちゅう飛行機に乗る機会を与えてもらうともうそんな我侭なことはやりません、、、と言うかもう飽きました。
 で、着いて最初に行ったのが「吉本新喜劇」。テレビでは良く見ますが、実物を見るのは私ももちろんはじめてで、カメラ片手に(いつもの)“おのぼりさん”状態。案内の人に確かめたのですが、館内では写真もご自由にお撮りくださいとのこと、普通はこういった舞台などだと「写真撮影はご遠慮ください」みたいなところが多い中、吉本さんはかなり良心的な感じでした。お客さんももちろん満員御礼。景気低迷どころか、ここだけは“かなり急な回復基調”にあるようです。会場内の様子は写真をクリックしてご覧ください。
 
でで、夜は当然のことながら大宴会。ホテルに帰ったのは深夜3時を回っていました。私は、いきなりベットに突入して30秒後にはイビキをかいている同行者達を横目に見ながら、日課となっているメールチェック。大きな声では言えませんが、正直この時ばかりは注文が無ければいいなア〜などとチラと考えながら・・・。
 翌日はユニバーサルスタジオジャパン(USJ)へ。実は私、出発の数日前まで
UFJとまちがえて「銀行・証券会社に視察に行くのか?! 塩漬けしている株もこの際何とか考えんといかんなぁ。」などと考えていましたが、行ったところはUSJ。まあご存知の方も多いと思いますが、ハリウッド版の「日光江戸村」といったところでしょうか???。とにかくバック・トゥ・ザ・フューチャーやジェラシック・パーク、ジョーズ、ターミネーターなど誰でも知っているハリウッド映画のアトラクションが目白押し。時間を忘れて遊びまくってきました。。。(^_^)/
11/2(土)  −ハーフマラソン−

 先月の話になりますが、千葉県我孫子市周辺で行われた『手賀沼エコマラソン』に出場してきました。なんでもこの大会は“手賀沼の美しい自然を取り戻そう”ということで数年前から開催されるようになり、今年で8回目を迎えるそうです。今回からは沼の中央に架かる手賀沼大橋を渡り、手賀沼を1周するコースにリニューアルされました。参加選手は沼を一望しながらの清清しいランニングとなります。
 ちなみにこの手賀沼、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、環境省の水質ランキングで27年間連続全国ワースト1を記録していて、「日本一汚れている沼」として“有名”なんです。しかしながら最近になってようやく水質浄化が進み、今年はとうとうその“汚名”を返上することになったそうです。
 当日地元に朝6:30に集合した我々=「ビッグマウス」チームの面々は、監督の秋葉さんの車に乗り込み一路手賀沼へと。。会場に着くと既にたくさんの選手達がカラフルなウェアーに身を包み、ウォーミングアップをしていました。関係者から聞いた話によると、各地から8,000人のランナーが集まるそうで、ハーフマラソンとしては1999年から連続3年間全国No.1の人気を誇っているとか。ちなみにこの大会「よみがえる手賀沼、さわやかに走ろう」がスローガン。日本一汚れた手賀沼を舞台にしたことが返ってこの大会を有名にして、全国に知られる市民マラソンに成長したというから人間なにが幸いするか解りません!?
 開会式には資生堂ランニング倶楽部の松田千枝選手や積水化学陸上部の那須川瑞穂選手・吉田香織選手が登場、また地元中学生によるブラスバンドや太鼓の演奏が催され大会の雰囲気は徐々に盛り上がっていきます。写真はその開会式の模様、クリックしてご覧ください。(今回は皆選手として登録したので補欠=写真班はおらず、残念ながらレース中の写真はありませんが。。。)
 あと、そうそう、皆さんご存知のように私はここのところ北海道や大阪に旅行(研修?)に行ったり、青年会議所の用事でしょっちゅう出掛けてばかりいるので、殆んど練習する暇も無く、おまけにハーフマラソン(21km)を走るのは今回が初めて! 一緒に参加したチームメイトにも言われましたが、10kmぐらいで“救護車行き”は覚悟していました。ところがどういうわけか時間こそかかったものの(2時間25分)何とか完走してしまいました!!!
 途中15kmを過ぎる頃から急に痙攣を起こして立ち尽くす人、足を引きずりながら歩く人、疲れて意識が朦朧として役員に抱きかかえられる人が目立つようになってきて、私自身も完走を諦めようかと思ったときもありました。でも沿道の人達の応援があり、また前述しましたが所々に地元の小中学生の吹奏楽や愛好会の太鼓演奏があり、
走る私を終始叱咤激励してくれました。
 21km走り終わった私は当然のことながら

“仮死状態”・・・

大学受験以来の本当に無謀な挑戦でした。。。
11/14(木)  −台湾 鳳山−

 7日〜9日までまたまた出かけてきました。場所は台湾の鳳山(ホウザン)市。八日市場青年会議所と鳳山国際青年商会は、もう33年間も相互訪問をしていて、今年は5月に彼らが日本に来てくれて、その“お返し”に今度は我々が台湾におじゃましてきました。
 こういう交流についてはみな同じだとは思いますが、お迎えするときは、さて何処に連れて行こうか、夜の式典の段取りはどうしようかといろいろと悩むのですが、行くときはそれに比べ結構気楽なもの。飛行機を手配して、お土産を買っていざ出発です。
 7日17:45 我々一行9人は、成田発NW9便に乗り込みいざ台湾へと。機内では“寝る人”の私ですが、今回は理事長としていろいろな場面で挨拶やらコメントを求められる身。行く先々や夜の歓迎会を想定してのシュミレーションをして過ごしました。
 21:15 高雄(タカオ)空港に到着、鳳山JC総出でお出迎え!?と思いきや。空港のロビーにはそれらしき人物は居ず、しばし途方にくれているとぞろぞろと鳳山メンバーがやってきました。後で聞いたところによると、日本時間のPM21:15は鳳山時間のPM22:15、つまり鳳山では時差の関係で日本より1時間時計が遅い訳です。鳳山JCにはFAXで到着時間を告げていたのですが、担当の人が“その時間”をそのまま現地のメンバーに伝えてしまったので、出迎えに来るのも遅れたとのこと。。。こちらにしてみればたいしたことではないのですが、台湾の習慣からするとこれは一大事だそうで、呉(ウー)鳳山会長はじめ皆でしきりに私達に詫びを入れるので、逆に私達が彼らを慰めるような恰好に・・・。
 その夜は皆で羊のしゃぶしゃぶを食べて旅の疲れを癒し、夜1時ごろ宿泊先の漢来ホテルへ。
 それから翌日・翌々日と、鳳山市長の表敬訪問やら市内観光、
そして夜は晩餐会&2次会3次会・・・と熱烈歓迎の過密スケジュールが続き、まるで私達はジェットコースターに乗っているような3日間でした。
 道中の様子は写真をクリックしてご覧ください。
12/2(月)  −第56回東総駅伝大会−

 昨日は毎年恒例の東総駅伝大会に出場してきました。地元の教育委員会などが主催するこの大会は今年で56回目を迎え、千葉県でも屈指の伝統ある大会なのだそうです。我々八日市場法人会青年部では、1999年からチームを結成して以来毎年参加していて、今年は「ビッグマウス」と「チキンハーツ」の2チームのエントリーとなりました。
 当日は会場となる八日市場市立第2中学校に朝7:30に集合。(朝寝坊な私は当然のことながら?かなり遅れ気味に会場入りしましたが・・・) 受付を済ませ、各自ゼッケンを付けます。その後2区以降の選手はバスに乗り中継地点へと移動です。私は今年も第1区担当、そのままスタート地点に残って開会式に参加する予定でしたが9:00頃から小雨がパラパラ、それが開会式の始まる10:00にはチョットひどくなってきました。雨に濡れながらの式典?と思いきや、グランド中央に設えた開会式の機材やらは中学校の校舎の軒下へと、、、。7m四方ぐらいの狭い所で何とか市長さんはじめとする主催者の挨拶が始まりましたが、場所が狭いので私達はその輪の中に入れず、遠くから見物するような恰好に・・・。
 ストレッチやアップをして準備を整え、10:00雨の中のスタートとなりました。
 レース結果などは監督の秋葉さんのHPでご覧下さい。これを見れば東総駅伝の全てが解ります!!!
12/18(水)   −JC納会−

 2002年度もそろそろ終わりに近づいています。今年は八日市場青年会議所の理事長として本当に忙しい1年でした。
 私は今年「Smart Sharp Strong」をスローガンに掲げ、1年間活動してきました。このスローガンはそれぞれ「組織をスリム化し、継続事業の見直しを行う」「ムダを省き、実効性のある事業を展開する」「目的意識を持って、自身と信念に基づいて行動する」という私のある意味“誓い”を込めた言葉だった訳です。私としてはこの目的に向かって自分なりに精一杯取り組んだことだけは自負しています。
 
JCは一口に言うと、社団法人として社会に奉仕するボランティア団体です。しかしその活動は多岐にわたり、活動もさまざまです。現代社会において社会貢献をするためにはある一定の社会規範を知らなくてはなりません。ただ何でも活動すればいい、お金を出せば良いと言う考え方はバブルとともに過ぎ去りました。普段の生活の中で、あるいは地域社会の中でも「まちづくり」や「国際交流」といったシビアな話題は敬遠されがちなのが現状です。でもJCの中では自分の意見を率直に話したり、組織や社会に対して議論したりすることが不思議と新鮮に感じられるのです。
 青年会議所(JC)はどうしたら物事がうまく進むのか論じ合う場だと言い換えることができるかもしれません。大きな事業をするためには多くの人が必要ですが、それとともにその人達が組織的にどう動くのかがとても重要なのです。大きな壁を前にした時、人は立ち尽くしたり逃げたりしてしまいがちです、またそれを他人や社会や時代のせいだと都合の良い言い訳をして諦めてしまうのではないでしょうか。どんな逆境にあっても、それらに一番効率的に対処できる「見えないボタン」が何処かにあるはずです。JCはその見えないボタンを探す旅です、JCの中で活動しているとその見えないボタンが見えるようになってきます。仕事や生活の場においても同じで、現状を打開する方法を見つけやすくなるのです。

 理事長職は、例えるならまるでジェットコースターに乗りながら数学の方程式を解くようなそんな1年間でした。頭と体がフル回転をして時間と空間を凝縮させたかのような貴重な体験でしたし、その中で私自身も成長し、新たな目的を見つけだすことができました。
 忙しかった理事長職が終わり来年はお役御免で、直前理事長というおおよそ忙しさとは無縁の役職です。その分今までとはまた違った視点で物事を見ることができるかもしれません。今まで青年会議所で学んできたことを今度は後輩達に伝えていくのが恩返しになるのではないかと考えています。JCには40歳定年卒業という決まりがあり、私も2003年でラストイヤーとなってしまいました。JCライフの総決算として来年1年間悔いのないように活動してゆきたいと思います。
 ご静聴ありがとうございました。\(^_^=^_^)/